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ダウト ~あるカトリック学校で~
2008年12月に公開されたアメリカ映画

『ダウト ~あるカトリック学校で~』

doubt_poster

全く何の予備知識もなく、それこそ「あるカトリック学校」が舞台のお話だっていうことも知らないで観たんですが、実はそれで正解だったかもvv

去年のアカデミー賞の演技部門に俳優さん&女優さん全員がノミネートされた、それぞれの迫真の演技がとにかく凄いです。日本でもDVDが手に入るそうですので、まだご覧になっていない方はぜひどうぞ!!

ネタバレ、予備知識は一切無い方がベターな心理サスペンスですので、以下は映画をご覧になってからお読み下さい(_)





主な登場人物は4人、舞台もほぼ学校内だけ、登場人物のセリフだけで何があったか分からせる、という、映画を観ているだけでも舞台劇の映画化だっていうことが丸分かりな話なのに、それでもこの4人の桁外れの演技の上手さに、グイグイ話しに引きこまれて一気にラストまで観てしまいましたv

メリル・ストリープが演技上手いのは常識(?)ですけど、さすがアカデミー賞俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンも全く負けてなかったです。
doubt1

映画は1964年、ケネディ大統領が暗殺された翌年のNYブロンクス地区にあるカトリック学校を舞台に、フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が教会で“doubt”についてのお説教をするシーンで始まります。

真面目な顔でお説教を聞く信者、あくびをする子供たち、くしゃみをする若いシスター、お喋りする子供達とそれを注意する年上の厳格なシスター…そんな日常的な情景の中、お説教が締めくくられます。

“Doubt can be a bond as powerful and sustaining as certainty. When you are lost, you’re not alone.
「懐疑は確信と同じくらい力強く継続的な絆であり得る。迷える時、あなたは一人ではないからだ。」

このお説教を何気なく聞いていたまだ年若いシスター・ジェイムス(エイミー・アダムス↓右)を含むシスター達は、その夜のディナーの席で、校長のシスター・アロイシアス(メリル・ストリープ↓左)に「フリン神父に注意するように。」指示されます。
doubt_amy_adams meryl-streep

一体シスターが何を言いたいのか分からないまま、映画は楽しそうに歓談するフリン神父と他の神父たち、暗い雰囲気の中で黙々と食事を続けるシスター達の対照的な様子を映し出します。

その後も、「ボールペンを使わせると、字が下手になってダメでしょ!」って煩く注意する厳しいシスター・アロイシアスと、生徒と親しく打ち解ける笑顔の優しそうなフリン神父が、古臭い教会の体質と新しい進歩的な考え方の対立、という感じで描かれていくんですが、その静かなペースが途中で急展開!

・・・教室で黒人の生徒に話しかけるシスター・ジェイムス、ロッカーに何か入れながらシスター・ジェイムスに笑いかけるフリン神父、そのフリン神父を不安気なまなざしで見送るシスター・ジェイムス・・・。

「え?今の何だったの?」っていうそんな短いシーンの後に、シスター・ジェイムスとシスター・アロイシアスの会話があって、初めて話が見えてくる、っていう展開が上手い!

お酒を盗んで飲んでいたところを見つかった黒人の生徒、ドナルドは、大好きなフリン神父の侍者(アルターボーイ)を辞めさせられます。

でもドナルドの先生であるシスター・ジェイムスは、そのことに“doubt”「疑い」を持ったのでした。

「その日、授業中に突然フリン神父に呼び出されたドナルドは授業が終わるまで教室にもどってこなかった。戻って来たときはアルコールの臭いをさせて涙を流し、酷く動揺していた。そしてフリン神父はその後、ドナルドのロッカーになぜかドナルドの下着を戻しに来た…。」
doubt2

「それをどう考えたら良いか分からない。」というシスター・ジェイムスに対して、シスター・アロイシアスは直ぐに一つの結論を導き出します。

「フリン神父はドナルドにアルコールを与え、彼を自分の思い通りにしようとした。」

その後、口実を設けてフリン神父を校長室に呼び出し、シスター・ジェイムスの前で少しずつ彼を問い詰めていくシスター・アロイシアスと、自分が呼び出された目的を悟ると全てをキッパリ否定するフリン神父。

このシーンの3人のそれぞれの思惑を隠した演技が実に見事でしたv

それからフリン神父と二人で話したシスター・ジェイムスは「彼は何もしていない。」と自分を納得させますが、シスター・アロイシアスは追及の手を緩めません。
doubt3

その後、そんな彼女への怒りを隠せないフリン神父のゴシップに関する説教がまた凄かった。


無責任に広がり続けるゴシップと、切り裂かれたダウンピローから風に乗って飛び散った小さな羽毛の力強い比喩。フリン神父を疑った自分達に向けられた彼の鋭いお説教を聞いて動揺するシスター・ジェイムスと、固い表情を崩さないシスター・アロイシアス…。

ついにシスター・アロイシアスは、ドナルドの母親、ミラー夫人を呼び出します。

自分の息子に神父が性的虐待を行っている可能性がある、そう聞かされた母親が何らかの行動を取るはず、そう思っていたシスター・アロイシアスは、でも見事に裏切られました。

このシスター・アロイシアスとミラー夫人の会話は、演技の素晴らしさという点では映画の最高のクライマックスで、そして胸が痛くなる悲しいシーンでもあります。
doubt4

「息子は公立の学校で苛められ、このままでは殺されると思ったから私立のカトリック学校に入学させた。家でも夫が息子を殴っている。息子に良くしてくれる神父にはそれなりの理由があるのかもしれない。でも私はそれでも息子に良くしてくれる人につく。」

「ゲイ」という言葉は一度も使われませんが、ミラー夫人は息子がゲイであること、そのために学校でも家でも辛い目に遭ってきたことを知っています。息子の唯一のチャンスは名門のカトリック学校を卒業して進学校に進むことだけ、そのためには、

“Let him have him then!”

神父が望むなら彼に息子を自由にさせればいい。

どうせ卒業する6月までのこと。そうすることで、私立の名門カトリック学校初の黒人の生徒である息子が、無事に卒業できるというなら…。

(>へ<;)

このお母さんを単純に責めることは出来ないだけに、とても辛いシーンでした。


目撃者もなく、虐待の事実を何一つ証明できないシスター・アロイシアス。最後に彼女はフリン神父を追い詰める賭けに出ます。そのためにフリン神父は彼女の教区を去ることになったものの、その結果、もっと大きな教区の神父として出世することになったのでした。


全てが終わって、最後にシスター・アロイシアスが、

“I have doubts. I have such doubts!”(私にも迷いはあるの。迷いがあるわ!)

そう泣きながら告白します。


この映画を観た人に自分で意味を考えて欲しかった、という風にジョン・パトリック・シャンリー監督↓がおっしゃっていますけど、その言葉通り、映画は最後まではっきりした結論を出さずに終わっています。
doubt director

アイルランド系のカトリック教徒で、1964年当時は14歳のカトリック学校の生徒だったというシャンリー監督は、外部に閉鎖的で、男性の神父と女性のシスターという、ジェンダーに基づく上下の階級に厳しいカトリック学校の様子を、とてもリアルに分かりやすく描いています。

シャンリー監督が脚本を書いたオリジナルの舞台劇が上演されたのが2004年。

カトリックの神父に虐待された子供達が教会を相手取って訴訟を起こし、何百億、現在では何千億に膨れ上がった賠償金が支払われることになったのが2002年。

教会幹部は子供を性的に利用する神父達の存在を知って居ながら、それを隠し続け、虐待の訴えがあった神父を他の教区に移動させることで、更なる虐待の犠牲者を増やし続けました。

犠牲になった子供達の多くが貧しい移民の子供で、特に弱い立場の子供だったこともニュースで報道されています。

映画ははっきりした結論を出していませんが、描かれている状況があまりにも現実とリアルに重なる以上、私には監督の意図が、

「証拠もないのに無責任な噂は止めましょう。」

という単純なものだったとは思えません。

"What led to the church scandals was [the] blindness that people had about who was good and who was bad, and what was right and what was wrong,"

「誰が善で誰が悪か、何が正しくて何が間違っているか、それが見えていなかった人々が教会をあのスキャンダルに導いた。」

というのは、こちらのインタビューからの監督さんご自身のお言葉です。


今も増え続ける犠牲者からのカトリックの神父への虐待の訴えの数々。次々と明るみに出る教会側の隠蔽工作。

1964年当時、もしそれを止めようとしたシスターが居たとしても、彼女一人に何が出来たことか…。

「私にも迷いはある。」

そう泣き崩れるシスター・アロイシアスは、それまで手に持っていたロザリオを衣の袖に隠します。

私には彼女のこの“doubts”が、彼女がシスターとして一生を捧げてきた教会への不信、そして信仰そのものへの懐疑だと思えてなりませんでした…。


でも『ダウト』を逆に、「無責任な噂の犠牲になった神父の物語」という見方をする人も多いみたいで、フランスではあのポランスキー監督が『ダウト』の舞台劇を監督したそうです。

・・・・・・( ̄  ̄;)


ハリウッド映画には珍しく、観る人に自分で考えることを要求する映画。

観た人がそれぞれどういう風に受け止めるにしても、その点、とても貴重な映画だと思いました。


最後はトレイラーです。


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コメント
この記事へのコメント
宗教絡まなくても
人そのものに問いかける作品ですね。

迷い疑うは「人間の過ち」にして、「人間味」じゃないかと思います。

とは言え、「自分がされて辛いことは、他人にするな」です。

アメリカで起きた2002の神父の性的暴行事件、「事件当時のPLAYBOY」と「松嶋&町山未公開映画」で知りました。

大人の身勝手さが、引き起こす痛み。
子供だけでなく、その母親まで暴行していた…家族の痛み。

痛みには、"痛みを与えた者を野放しにしていい"なんてことはないと思います。

見てみぬどころか隠蔽するなんて、人でなしですよね。
2010/03/30(火) 15:56:41 | URL | すずら #-[ 編集]
すずらさん、こんばんは
本当に人として最低限してはいけないことを見誤ってはいけないです。
おっしゃる通り、宗教が絡まなくても、子供への虐待は許されない罪。
ましてや神父という権威ある立場の人間が、マイノリティの弱い立場の子供を選んで虐待するのは、余りに救いがなく卑劣な行為としか言い様がありません><

>見てみぬどころか隠蔽するなんて、人でなしですよね。
まさしく!
何十年間もそういう神父を野放しにして、隠蔽してきた教会も許されるべきではないです。

>「事件当時のPLAYBOY」
意外なニュースソースでしたw
最近は読んでませんけど、確かに真面目な記事も結構載ってましたよねvv
日本のは修正入るんでしょうか?…ってそういう話じゃない;
2010/03/31(水) 20:27:45 | URL | あけぼの #-[ 編集]
いつもメッセージへのお返事ありがとうございます☆

>当時の「PLAY BOY」

海外版よりお姉さんたちじゃなく、日本版は時事に記事を割いているような気がします。

そんな中で、この事件の記事をどんな雑誌よりも真摯に受け止めて客観的に書き上げていた手腕に頭が下がりました。

日本では、まだ少ないケースですが、時に聞くケースはもっと卑劣です。
知的障害の子を狙うケースが多いです。
でも一方で、駅前、私の隣で「オヤジと食事してちょっと触らせれば20万かたいよ~」っていう田舎の小学生がいる。

大人だけの問題じゃないと日本の場合は更に考え直さなくては、本当の豊かさには程遠いなと思いますよ。
例の条例よりこっちの方を掘り下げた方がとも思いますよ(苦笑)
2010/04/01(木) 03:56:50 | URL | すずら #0eKlHyVs[ 編集]
すずらさん、こんばんは
日本版と海外版って内容が違うんですね?
それは気が付きませんでした!
>日本では、まだ少ないケース
確かにニュースでもアジア圏でのことは取り上げられていませんでした。
ただ、実際にそういった事件が少ないのか、それとも隠蔽工作が成功しているのか…そこが心配;
そういう事件を聞くと本当に寒気がします。

そう言えば、例の条例はどうなったんでしょう?
最終的に通らなかったんなら良いのですが…。

(こちらこそコメントありがとうございました!)
2010/04/04(日) 16:05:24 | URL | あけぼの #-[ 編集]
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